Foresight

深層強化学習で超高層ビルの地震に備える

2011年3月に発生した東日本大震災。
震源から遠く離れた東京の超高層ビル群でも「長周期地震動」による被害が報告されました。
多様な地震波から、どうすれば人々を守れるか。
発展を遂げ続ける日本の制振技術が、AIの深層強化学習でさらに進化しています。

数十年先か、明日なのかは分かりませんが、大きな地震は必ず起きてしまう。
それでも早く元の生活を取り戻せる社会にしたい。

「ぶつからないクルマ」を見て発案

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───2017年8月にNTTファシリティーズが発表したのは、超高層ビルにおける地震の振れの制御にAIを活用する技術でした。長周期地震動がもたらす被害は、東日本大震災がきっかけで広く認知されましたね。

鈴木 東日本大震災の発生前にも、建築の構造設計を生業とする人々の間では長周期地震動の危険性が指摘されていました。しかし、大多数の視点は「仕上げの裏に隠れている構造骨組が耐えられるか」というものだったのです。

NTTファシリティーズ ファシリティ部門 建築ソリューション担当 担当課長 鈴木幹夫さん

NTTファシリティーズ ファシリティ部門 建築ソリューション担当 担当課長 鈴木幹夫さん

鈴木 しかし、東日本大震災のときに都心で明らかになったのは、建物の構造骨組は何ともないのに、天井が落ちたり、設備が壊れたり、エレベーターが止まったりした被害です。また、超高層ビル(高さが60mを超える建築物)に住んでいる人が「揺れの怖さで全く身動きが取れなかった」という実態も改めて分かりました。

───超高層ビルの止まったエレベーターは、当時なかなか復旧できなかったことを思い出します。

鈴木 エレベーターは専門の人が来て、チェックしてOKをいただかないと動かせないんですね。あの時「構造骨組が壊れないだけではダメだ」ということが改めて浮き彫りになったと思います。

大型模型試験体を載せたNTTファシリティーズの振動台(広帯域対応大型三次元駆動システム「DUAL FORCE」)。長周期地震動に対応したこのシステムは4代目で、2010年に完成した

大型模型試験体を載せたNTTファシリティーズの振動台(広帯域対応大型三次元駆動システム「DUAL FORCE」)。長周期地震動に対応したこのシステムは4代目で、2010年に完成した

───そうした気づきから、建物の制振にAIを応用しようと思い立ったのはどういう経緯だったのでしょうか。

鈴木 2016年のNTT R&Dフォーラムで自動運転のデモを見たのがきっかけです。そのとき「ダンパーを動かす制御にAIが使えるのではないか」と思い、その後に『NTT技術ジャーナル』の2月号で「NTTグループにおけるAIの取り組み」という特集を読んだのです。その中で「マルチエージェントシミュレーションによる渋滞予測・信号制御について」というNTTデータの論文があったので、NTTグループ内で一緒にやれないかと打診しました。

機械学習と深層学習の組み合わせ

───今回の技術は、「深層強化学習」によって最適な振動制御を学習したAIが、地震の揺れに応じて建物内部のダンパーを電動アクチュエータで制御する一連のシステムです。開発担当者の一人であるNTTデータの稲葉さんに、まずは深層学習(ディープラーニング)と強化学習を組み合わせるとどういうことが達成できるか伺います。

NTTデータ技術開発本部 エボリューショナルITセンタ AIソリューション開発担当 稲葉陽子

NTTデータ技術開発本部 エボリューショナルITセンタ AIソリューション開発担当 稲葉陽子

稲葉 機械学習と言ったときにまず例に挙がるのは「教師あり学習」と呼ぶAIの学習手段です。過去に「こうしたらうまくいった」「こういう風に定義すべきだ」といったデータが正解としてあった場合、それらと実際の状態のデータを結びつけ、理想的なモデルの構築をするというのが一般的な教師あり学習です。

一方で「強化学習」とは、正解がない領域に対して適応するための学習です。教師として正解のデータがあるわけではなく、与えられるのは報酬という手がかりだけなんです。何十万~何百万回もいろんな試行錯誤をする中で「良かったか悪かったか」というところだけを報酬として与えてあげる。すると、報酬を得られる方向に自然とロジックはつくられていくんですね。こうしたAIの強化学習は1990年くらいから開発されています。

───接戦の末にチェス世界王者のガルリ・カスパロフを下したIBMの「ディープ・ブルー」は印象的でした。現代ではゲームの世界で「アルファ碁」やさらに次世代の「アルファ碁ゼロ」といったAIが人間に対して圧倒的な強さを示しています。この理由は、単にコンピューティングパワーが上がっただけではないのですね?

稲葉 強化学習に深層学習を組み合わせたところも大きいです。深層学習では、そのデータの中の「構造」や「因果関係」といった関係性を、学習によって非常に細かくモデル化します。例えば、Googleがネット上の画像から「猫」をちゃんと識別する実験でいい成果を上げ始めたのが有名です。

地震波に対する制御を数十万回繰り返すことにより知能を獲得した「制振AI」が実現するのは、高層ビルの揺れを物理的に制御して抑える「アクティブ制振」。図のように複数の技術を複合させたシステムになる

地震波に対する制御を数十万回繰り返すことにより知能を獲得した「制振AI」が実現するのは、高層ビルの揺れを物理的に制御して抑える「アクティブ制振」。図のように複数の技術を複合させたシステムになる

制振AIは「複雑な揺れ方をしているビルの状態に対し、どういった手を打てばいいか」というものです。中にある複雑な関係を深層強化学習で学習します。複雑な内部構造をかなりの精度でモデル化できるのがメリットです。

数理最適化のプロも開発に投入

───開発する中で、困難な場面はありましたか。

稲葉 最初のシミュレーターをつくるところから苦心惨憺がありました。深層強化学習を最初から適用したわけではなく、もう少し易しいところから適用してみたのですが、なかなか良い結果が得られませんでした。

───どういうところが難しかったのでしょう?

稲葉 制御をかけるということは、今現在の状態に合わせて何らかの制御をしないといけないということです。でも、状態を「今この瞬間だけ」捉えるのか「前のところまで含めて」捉えるのかでも違いますし、加速度や変位といった情報もあるので、それらをどこまで含めるのかという問題もあります。まずは一通りやってみたのですが、かえって揺れが大きくなったという失敗もありました。

当初考えていたよりも、中身にもっと複雑な技術を適用する必要があるのが見えてきたんですね。実際にどこまで揺れを抑えるのか、鈴木さんの方で明確な目標を最初から持っていたので「最適化」という技術を使って検証する流れになりました。

グループ会社のNTTデータ数理システムには、非常にロジックが難しいモデルを構築しなくてはいけない場合にご協力いただいています。交通シミュレーションもその一つです。日本で有数の数理最適化の技術を持っているので、この段階から入っていただきました。

NTTデータ数理システム シュミレーション・アンド・マイニング部 部長 雪島正敏さん

NTTデータ数理システム シュミレーション・アンド・マイニング部 部長 雪島正敏さん

雪島 私たちは数理科学、コンピューターサイエンスを使って世の中の問題を解決することを掲げています。機械学習の専門家というより、どちらかというとモデルをつくる仕事です。今回の制振AIは、深層強化学習によってアルゴリズムを構築してAIになっているのですが、そのモデルをつくる部分を担当しています。

「何らかの問題が与えられたたとき、一番いい答えを探す」という技術が最適化です。地震波の場合には複雑で、次にどのような状態になっているかが分からず、理想的な解を探すのは難しい。でも、シミュレーション上は導かれるので「仮にこう来るのが分かったときに、どこまで揺れを抑えられるか」をベンチマークとして行いました。

※1 長周期地震動

周期の長い(約2秒〜20秒)ゆっくりとした大きな揺れを起こす地震動。巨大地震の際に発生し、震源から遠い場所まで届く特徴がある。超高層建築物や石油備蓄タンクなどでは揺れが増幅する可能性があるため、対策が急がれている。低周波領域で発生するため「低周波地震動」とも呼ばれる。

※2 自動運転のデモ

複数台の模型車が自由な方向に動きながらも衝突しない「ぶつからないクルマ」のデモのこと。 https://inforium.nttdata.com/foresight/connected-car.html

※3 マルチエージェントシミュレーションによる渋滞予測・信号制御について(著者:NTTデータ 米森 力)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscstaikai/28/0/28_67/_article/-char/ja/

※4 ディープ・ブルー

1989年からIBMが開発を始めたチェス専用のスーパーコンピューター。32個のプロセッサーを搭載したマルチコアにより、何百万回もの演算を同時的かつ並列的に処理。1997年5月11日に当時のチェス世界王者、ガルリ・カスパロフに初勝利した。

※5 交通シミュレーション

中国・貴陽市において、ビッグデータを活用した「渋滞予測・信号制御シミュレーション」の実証実験で渋滞緩和効果を確認(2016年5月31日)。http://www.nttdata.com/jp/ja/news/release/2016/053101.html

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デジタルツインでシミュレーション

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デジタルツインでシミュレーション

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アクティブ制御で揺れを抑制

───制振AIがある程度のかたちになったのはいつ頃でしたか。

鈴木 正弦波という単調な揺れに対して、シミュレーション側でいい結果が見られたのは2017年の3月です。実際に開発を始めたのは前年の6月くらいなので、1年弱での結果でした。

正弦波の揺れを大型模型試験体に当てた際、アクティブ制振の有無でどれくらい揺れ方が変わるかをデモンストレーションした様子

稲葉 正弦波は、ずっと一定の周期で動いている波です。これは現実では起こらないような地震波です。実際の地震波にはいろんな種類があり得るので、さまざまな波を学習させることが大事です。実験でも日本で実際に起きたたくさんの種類の地震波を実際に当てて評価しています。

ただし、もし学習しなかったタイプの地震波を受けた場合でも、地震波はいろいろな周波数成分が組み合わさってできているものなので、ビルの揺れに大きく影響する周波数成分を含んだ地震波に対する学習ができていれば対応できると考えています。

鈴木 超高層ビルというものは、ビルの構造が決まるとその揺れ方はかなり限定されます。逆に地面がどのように揺れても、結局は建物が持っている特性で決まる特定の形で揺れます。たとえ今まで学習してこなかった地震波が来ても、似たような感じの揺れ方を必ずします。「どうやればその揺れを小さくできるか」ということを学んでおくと、大概の地震に対応できるのではないかと考えています。

───制振AIが電気的に制御するのは「アクチュエータ」と呼ばれる建物内部の装置です。これはどういった役割をするのですか。

鈴木 制御には大きくアクティブとパッシブの2種類があります。アクティブ制御の例としては、台風などの強風に対してビルの揺れを制御するアクティブマスダンパーがあります。外部のエネルギーを使ってアクチュエータによりビル頂部の錘(おもり)を能動的に動かすという仕組みです。しかし、アクティブマスダンパーの錘は小さく、今まで地震のときに起こる大きな揺れを抑えることに適応できませんでした。

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そのため、多くの超高層ビルの地震対策には、ビルの各階にダンパーを設置するパッシブ制御が採用されています。今回開発したアクチュエータは、この各階のダンパーに直列に接続させる装置であり、アクチュエータを動かすことによって、ダンパーからビルに加わる制御力をコントロールしています。

大型模型試験体に装着されているダンパーの減衰力は、電動アクチュエータによって制御される。ダンパーとの接続を切った実験と比較することで、振動制御装置の効果を測定できる

大型模型試験体に装着されているダンパーの減衰力は、電動アクチュエータによって制御される。ダンパーとの接続を切った実験と比較することで、振動制御装置の効果を測定できる

───なぜ、AIを使うまでは地震に対してアクティブ制御が実現できなかったのでしょうか。「左へ引っ張られたから、今度は右へ引っ張り返す」という類の制御ではないと。

鈴木 もちろんそんな簡単なものではないからですね。大型模型試験体にはビルの各辺にダンパーが付いていて、X軸とY軸の各方向ごとに制御しています。イメージ的には「人間が不安定な台上に立ったとき、自分が転ばないよう微妙にバランスを取る」のと同じように、AIが制御している感じです。

 

ダンパーのない試験体は揺れが大きくなり、特に上層階ほど大きく振られている様子が見て取れる。一方でダンパーのあるアクティブ制御を行った試験体では、アクチュエータが揺れに応じて動作。建物全体の揺れを抑えている効果が、カゴの中のカラーボールの動きを見ても分かる

雪島 地震に対する制御では「波が3倍になったら、制御値も3倍にする」とうまくいくという関係性がないので「こうなったときはこう増えるけど、ある条件からは減る」といった感じの複雑さがあるんですね。単純な計算ができるなら、わざわざAIなど使わなくても済むわけです。

長周期地震動以外にも有効

───強化学習におけるAIの報酬としては「揺れを少なくする」ところを与えているのですよね。

鈴木 そうです。やはり「建物が揺れない」のが一番いいわけで、全く揺れなかったら最高の報酬が与えられるといったイメージです。

───揺れを小さくしていくためにAIは強化学習をしていく。さらに構造を精緻にモデル化する深層学習も加えると、多様な状態に即した制御が可能になるわけですね。その際「ある程度は揺れるけれども、ちょっと時間が経ったら被害が少なくなるように動く」といった複雑な報酬を目指すのでしょうか。

雪島 そういう意味では、揺れるか揺れないかという状態はその時点でのスナップショットであり、実験上の揺れです。実際に学習している揺れとはそういう種類のものではありません。AIはトータルとして「その時間内全体での報酬が小さくなるようにしている」のです。ある時点で多少大きかったとしても、トータルとして小さくなるように学習するのが深層強化学習なんです。

───それが一番建物のダメージも少ないですし、中にいる人への影響が少なく、居住性が高まることにつながりますね。

鈴木 揺れが小さいと加速度も小さいですから、地震の感じ方として安心感がすごく高まると思います。また、最初は長周期地震動を主なターゲットとして開発していたのですが、やってみたら長周期地震動以外の周期が比較的短い成分を多く含む地震動でもかなりうまく制御できるといった結果が得られました。

───実験上の揺れと実際の揺れの違いは、シミュレーションで確認するのでしょうか。

稲葉 リアルな世界とサイバースペースを上手に組み合わせて、事前にサイバースペースのほうで検証した上で適応するという「デジタルツイン」の技術が、製造業を中心に注目を浴びています。

工場などの生産現場の状況をIoTで収集、サイバースペース上にデジタルデータでそっくり再現する手法。現実世界を模したシミュレーションを、時間軸を早めて行うことも可能で、何度もシミュレーションを繰り返すことで学習する深層強化学習にも向いている

工場などの生産現場の状況をIoTで収集、サイバースペース上にデジタルデータでそっくり再現する手法。現実世界を模したシミュレーションを、時間軸を早めて行うことも可能で、何度もシミュレーションを繰り返すことで学習する深層強化学習にも向いている

制振AIの開発でも、実際にリアルの世界で超高層ビルを動かしてみるといったことはなかなかできないのですが、シミュレーションの世界であれば何か起きても問題がありません。今回の建物の揺れのシミュレーターに関しては、NTTデータで組んでいます。そちら側でうまくAIを鍛えて、さらにリアルの世界に戻すということに取り組んでいました。

社会やインフラに適用が可能

───制振AIを使ったシステムは、これからどのように継続して開発されていくのでしょうか。

鈴木 アクティブ制振システムがいざ地震のときにきちんと動かないとダメなので、現在は停電などの電源対策を含めた信頼性の確保について取り組んでいます。それに機械ですから、点検、保守、部品の交換などにどう対応していくかも詰めているところです。それらをまとめてお客様にサービスとして提供できるようにしていきたいですね。地震が起きてしまった場合に大きな被害を受けることが想定されるエリアにあるビルオーナーの方に順次提案していこうと考えています。

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───AIの分野でNTTデータやNTTデータ数理システムに期待することはありますか。

鈴木 大きな地震は必ず起きてしまいます。それが数十年先か、明日なのかは分かりませんが、日本では常にその可能性があります。いったん起きてしまうと大変な被害が出てしまいますが、それでも早く元の生活を取り戻せるためにレジリエンス(復元力)の高い社会になるべきだと考えています。

でも、われわれのような建築構造技術者はどんどん減っているので、おそらく地震が来ても被災した建物を行くようなことがほとんどできないのでは、と危惧しています。そんな中で、技術で時間と空間を超えて予測をしたり、状況を把握したり、分析するといった、いちいちそこに行かなくても状況が分かり、さらに何かアクションが打てるようなもの、われわれが思いつかないよう技術をぜひ世に出していただけたらと思っています。

稲葉 被害状況の認識や、その後の予測、対処方法のサジェスト、制御といった分野は、まさにAIの開発にとって重要だと認識して取り組んでいるところです。私たち開発部門としても、社会やインフラというところに広く貢献する研究をしていきたいと思っています。

雪島 稲葉さんが言われた通り、IoTで情報収集して、状況を認識し、それに対して何かしらの行動を起こすというところで、われわれの技術が活かせると考えています。実際にAIを運用するときには、ある程度は自動化されるでしょうから「バッと何かの情報が来たら、このように即座に反応する」というシステムを構築するのに非常に向いています。そういうAIを使って社会のいろいろな場面で役に立ちたいという想いが、技術者としてもあります。


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