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INFORIUM9号

今号の特集は「脳に学ぶ ニューロサイエンスが導く社会革新」。ラストフロンティアとも言われる領域で科学革命が進んでいる。最新技術による「脳の見える化」などが後押しする脳科学研究だ。商品開発から営業活動のグローバル化に至るまで、あらゆるシーンで研究成果が試されることだろう。

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編集長 小崎哲哉

編集長コラム(6)
心はどこで生まれるのか

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数年ぶりに「脳内メーカー」をやってみた。10年くらい前に大流行したもので、ご存じない方のために簡単に説明すると、ネット上で利用できる姓名判断や相性診断などの占いである。自分の、あるいは誰かの名前を入力すると、脳味噌の絵と複数の漢字が表れ、人柄や性格が示される。たわいないお遊びで、脳科学との関係は(たぶん)ない。

いくつかのサイトを試すと、「遊」「遊」「遊」……の真ん中に「秘」「悩」「欲」とか、「甘」「甘」「甘」……の中に「食」「悩」「疲」とかが出てきた。ほかにも色々あったけれど、個人的に気に入ったのは「猫」「秘」「秘」「秘」「猫」である。猫好きとしてはなんとなくうれしい。でも「秘」ってなんだろう?

何で脳内メーカーをやってみたかというと、『INFORIUM』最新号(第9号)で「脳に学ぶ」と題する脳科学特集を組んだからだ。fMRIやAIの進歩によって、現代の脳科学は飛躍的に進歩している。では脳内メーカーは? と好奇心に駆られた次第だが、残念ながら10年前と大差ないような印象を受けた(間違っていたらごめんなさい)。いまは何回目かの「脳科学ブーム」だと言われるけれど、こういった「便乗商法」は下火になったのかもしれない。

一方、別の便乗商法はいまだに盛んであるようだ。脳科学の名を借りただけの、あるいは「脳」というひと文字をタイトルに入れて箔を付けただけの「な〜んちゃって脳科学本」。Amazonの「本」カテゴリーで「脳」をキーワードに検索を掛けると20,000点以上の結果が出てきた。大部分は「な〜んちゃって」ではないだろうか。

■目から鱗が落ちる脳科学本

とはいえもちろん、目から鱗が落ちるようなすばらしい本もたくさんある。知識欲を満たしてくれると同時に、読む者の世界を広げてくれるような脳科学本。僕は専門家ではないので、ここで言う「本」はいわゆる一般啓蒙書を指す。主に、優れた研究者やジャーナリストが一般読者を対象に書いた本だ。

面白さという点で群を抜くのは、オリヴァー・サックスとV・S・ラマチャンドランの一連の著作だろう。2015年に亡くなった英国の神経学者サックスは、多数の本を著している。映画化された『レナードの朝』も有名だが、人口に膾炙したという点では『妻を帽子と間違えた男』がダントツかもしれない。不幸にも視覚失認症に罹った音楽家が、サックスの眼前でタイトル通りの行動を取った話である。

同書には多くの驚くべき症例が記されている。脳卒中で右脳の深奥部を冒され、「左」という概念を失った女性は、顔の右半分にしか化粧を施さない。何かが自分の左側に置かれても、まったく気づかない。デザートを出されると、食べるのは右側半分のみである。

ほかにも、「突発性音楽嗜好症」によってピアノの演奏と作曲に突如目覚めた男(『音楽嗜好症』所収)、交通事故によって脳震盪を起こした後、完全な色覚異常に陥った画家(『仮性の人類学者』所収)、映画のようにリアルな、あるいは抽象画のようにでたらめな、さらには実際には読めないテキストや演奏できない楽譜などの異常な幻覚に悩まされる人々(『見てしまう人々』所収)など、すぐには信じられないような症例が、ときにユーモアを、ときに悲哀を感じさせる軽妙な筆致で描かれている。

インド系米国人の神経学者であるラマチャンドランは、代表作と言われる『脳のなかの幽霊』(サイエンスライター、サンドラ・ブレイクスリーとの共著。原著は1998年刊行)で、幻肢(ファントム・リム)や共感覚といった不可思議にして非常に興味深い症例を多数紹介している。サックスと同様、大部分が自らの患者のケースだ。

幻肢自体は19世紀から知られている。事故や手術などで身体の一部を失った患者が、喪失後も失われた部位が存在すると感じたり、その部分に痛みを覚えたりする症例だ。だがラマチャンドランの患者には、さらに奇妙な症状を訴える者がいた。足を失った後で、セックスをするたびに幻の足(足先)でオーガズムを感じるというのである。

ラマチャンドランは、その理由を大脳皮質の体表面地図に求める。体表面地図は、様々な局所感覚が生じる皮質の、身体部位への対応領域を図示したものだ。カナダ人神経科医ワイルダー・ペンフィールドの地図によれば、生殖器に対応する皮質の領域は足に対応する領域の下にある。脳の中では、生殖器と足先はすぐ隣に位置しているからというのがラマチャンドランの見立てである。

■「脳の理解は世界の理解」

こうした本に親しみはじめてからはフィクションを読む機会は激減した。まさに「事実は小説より奇なり」であるからだ。こうした人は僕以外にもいるのではないかと思うが、確認する術はない。しかし傍証としては、現代最高の演出家とされるピーター・ブルックが、脳科学に関する書物に想を得た戯曲を書き下ろし、舞台化しているという事実がある。ひとつは、まさにサックスの『妻を帽子と間違えた男』を下敷きにした『The Man Who』、もうひとつはロシアの神経心理学者A.R.ルリヤの『偉大な記憶力の物語』に基づく『私は現象』、そして両者を集成したと言える『驚愕の谷』だ。

あらゆる芸術、学術、そしてスポーツは、人間の可能性あるいは限界を知りたいという我々自身の願望から生まれたのではないだろうか。「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーは、それを強く示唆しているように思う。サックスやラマチャンドランの本に記されているのは「欠損」事例ばかりだが、ネガティブな事柄も見方を変えれば人間の可能性あるいは限界であると言えるだろう。『脳のなかの幽霊』文庫版の解説を記した養老孟司氏は「世界を認識しているのは人間の脳だから、脳の理解は世界の理解でもある」と述べている。だからこそ脳科学は、そして脳科学本は面白い。

最近では、マルチェッロ・マッスィミーニ+ジュリオ・トノーニ『意識はいつ生まれるのか』を読んだ。『INFORIUM』の特集でお世話になったサイエンスライターの森旭彦さんが薦めて下さった本だ。副題は「脳の謎に挑む統合情報理論」で、帯には「意識はいつ生まれるのか」とある。

詳しく紹介する紙幅はないが、著者たちによれば、意識が生まれるのは「視床−皮質系」。つまりは大脳皮質と視床で、頭蓋内の大部分を占めている。全部で約1000億あるニューロンの内、そこには200億個しかなく、残りの800億個は小脳に存在する。小脳のふたつの半球は互いにつながっていず、モジュールがばらばらに集まっているだけ。それに対して視床−皮質系は脳梁によってふたつの半球がつながれ、モジュールはそれぞれを相互につなぐ密接なネットワークの中に配置されている。小脳を全摘すると運動に明らかな困難が生じるが、視床−皮質系が存在する限り、意識に変わりはない。

どうやら我々の意識は、視床−皮質系で発生するようだ。その際に重要なのはネットワーク、著者たちの言葉を借りれば「情報の統合」である。膨大な情報を統合することによって、意識が、すなわち心が生まれる。著者たちはそのように考えているらしい。

意識発生のメカニズムの解明はしかし、そう簡単ではないだろう。我々が完全に脳を理解する日は、来るとしてもまだまだ先のことではないだろうか。それでも脳内に存在する「秘」の文字は、少しずつ減ってゆく。科学者たちの奮闘に期待したい。

おざき・てつや1955年、東京生まれ、京都在住。ウェブマガジン『REALKYOTO』(http://realkyoto.jp/)発行人兼編集長。1989年に創刊された新潮社の文化情報誌『03 TOKYO Calling』副編集長を務めた後、インターネットワールドエキスポ1996日本テーマ館『Sensorium』、愛知万博テーマ普及誌『くくのち』、ウェブマガジン『先見日記』のエディトリアルディレクターを歴任。CD-ROMブック『デジタル歌舞伎エンサイクロペディア』、写真集『百年の愚行』などを企画編集し、和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大学舞台芸術研究センター主任研究員。あいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーも担当した。2014年12月、編著者として『続・百年の愚行』を上梓。刊行後も続く愚かな事件や事象の情報をアップデートするウェブサイト『百年の愚行』 (https://www.facebook.com/idiocy2)も運営している。2018年3月、著書『現代アートとは何か』(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309279299/)を刊行。

特集「脳に学ぶ——ニューロサイエンスが導く社会革新」リソース集

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広報誌『INFORIUM』第9号の特集は「脳に学ぶ——ニューロサイエンスが導く社会革新」。編集部が参考にした書籍やウェブサイトから、面白かったものを集めてみました。

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萩原一平『脳科学がビジネスを変える―ニューロ・イノベーションへの挑戦』
特集監修者の著者はNTTデータ経営研究所研究理事で、ニューロコンサルティングの第一人者。グーグル、IBM、フィリップスなど欧米の事例を紹介し、脳科学の産業応用を進めるべきと説く。商品開発やマーケティングから意思決定まで。

萩原一平『ビジネスに活かす脳科学』
最新の科学的知見を踏まえ、ビジネス応用の観点から脳を分析。無意識、記憶、感情と行動、ヒューリスティックなどの脳のバイアス、脳のトップダウン処理、クロスモーダル効果、ミラーニューロン、脳内化学物質の8つの領域を取り上げる。

大隅典子『脳の誕生』
著者は神経科学者で、東北大学副学長・大学院医学系研究科教授。ヒトの脳はどう進化したのかをテーマに、1個の受精卵細胞から脳がどう発達していくのかを丹念に説明。地球史・生物史の視点から、脳が持つ壮大なメカニズムに迫る。

上大岡トメ&池谷裕二『のうだま2 記憶力が年齢とともに衰えるなんてウソ!』
老化と記憶力に関する誤解を解き、脳の秘密をイラストと漫画で解説。いつ勉強すれば記憶が身につくかなど、新たな学習の方法も見つかる1冊。共著者のひとり東京大学薬学部の池谷教授は、糸井重里氏とベストセラー『海馬』を書いた脳科学者。

バーバラ・ストローチ『年をとるほど賢くなる「脳」の習慣』
『ニューヨーク・タイムズ』の科学・健康・医療系記事担当編集者による「中年脳」についての本。「年をとるほど脳は衰える」のではなく、「人生の満足度は65歳で頂点に達する」との主張で中高年を励ましてくれる。監修者は上述の池谷教授。

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『CiNet 脳情報通信融合研究センター』
特集p.14で紹介したCiNetのサイト。国際電気通信基礎技術研究所(ATR)と連携するなど、独自の研究体制で脳機能研究の進展とその工学応用に取り組む。

ATR
『ATR 脳情報通信総合研究所』
特集p.15で紹介した川人光男所長が率いる研究所。計算論的神経科学の手法を用いて「ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)」の開発を目指す。

CAN
『応用脳科学コンソーシアム(CAN)』
特集監修者・萩原一平氏が事務局長を務めるコンソーシアム。科学界と産業界が連携する学際的なオープンイノベーションの場をつくり出すことが目的。

DONUTs
『NeM sweets DONUTs』
特集p.16で紹介した、CiNetの西本伸志主任研究員と、NTTデータ経営研究所、NTTデータの共同研究によって実用化された動画解析サービス。

GrandPrix
『NTT DATA Photo GrandPrix 2017』
NTTデータグループ社員を対象に実施しているフォトコンテスト。上記「DONUTs」を活用したニューロAI審査を行った(特集p.15で紹介)。

AI
NTTデータ 特設サイト『「ニューロAI」がマーケティングを変える』
脳科学とAI(人工知能)を融合させた「ニューロAI」は、マーケティングのあり方をどのように変えてゆくか。NTTデータグループの取り組みを紹介。

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『3D Brain』
コールド・スプリング・ハーバー研究所のDNA学習センターが製作したスマホアプリ。日本語訳はNTTデータ経営研究所が提供(特集p.8〜9で紹介)。

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